マザコン男に限界、私の堪忍袋の緒が切れた時

結婚してから初めての大晦日にお正月を静岡で過ごす事になるのですが、実はクリスマスケーキ事件の後ひと悶着あり私は大晦日とお正月は実家の長崎に帰りたいとマザコン男に伝えたのですが却下されていたのです。

マザコン男と私の間には、大きな溝が出来ていました。毎日のようにマザコン男とマザコン男の母親の長電話、私は蚊帳の外でした静岡の冬は九州育ちの私にはとてつもなく
寒く感じました。

マザコン男の命令口調の話し方に苛立ちながらも我慢してました、私が怒っても何も始まらない嫌な思いをするのは自分であることを分かっていたからです。

半分うつ状態になっていたのかも知れません、私自身に全く余裕がなく毎日ビクビクしていた感じでした。元々気が強い性格だったのですが、その反面真逆な自分も見え隠れしていました。

そんなこんなで大晦日になり私は自分で出来る範囲のおせち料理を作りました、マザコン男と大晦日の夜から元旦にかけて三島大社へ出掛け見せかけだけの夫婦を演じてました。

顔は笑ってるけど心は無表情とはこのことです、仮面夫婦とはこんな感じなんでしょうね。なんとも嫌な気持ちで一杯になってしまいます。

マザコン男も私と二人きりになるの事を回避するため会社の同僚をマンションに呼んで鍋パーティーをしました、とても楽しく時間は過ぎてしまいました。

いつもの冷たい食卓に一人他人が加わるとこんなに華やぐのかと内心思いました、マザコン男の会社の同僚は凄く素直な方でしたのでマザコン男に爪の垢を煎じて飲ませたいくらいでした。

お正月休みも明けて通常通りの生活に戻った或る晩のことでした、なにが原因だったのかはもう忘れてしまったのですが夕食を食べた後に私とマザコン男は口論になりました。

堪りにたまっていた私のイライラが爆発したのです、アンタとは離婚よ!もう我慢できない!アンタにはついていけません!と言い放ちました。

全く後先のことも感じずに、私は自分の感情を抑えることが出来ないぐらいに冷静さを失ってました。

マザコン男は私の発言に最初は驚いていましたが、私の本気度が分かると直ぐに母親に電話していました。やっぱりかやっぱり母親にまず連絡なんだ、こいつは自分の意見もないのかと思いますます苛立ちました。

マザコン男は母親から非常識な知恵をもらい私に反撃してきました、まず最初に離婚と言い出した方が慰謝料を払うと言うことでした。あまりにも頭の悪い人が言いそうな文句だと思いました。

離婚するなら慰謝料を払えの一点張り状態に呆れてしまいました。

そして付け加えてマザコン男は、俺は浮気もしてないのに何で離婚なんだ!意味が分からないとも言ってました。

離婚するなら慰謝料払えと一点張りのマザコン男の母親、離婚はしたくない離婚の意味が分からないと言い張るマザコン男、そして離婚したい私。

この出来事から私たちの生活は変化しました、でも毎朝のお弁当作りはきちんと作ってましたし家事もしっかりしていました。

でも会話はほとんど無くなり、話す話題は離婚の話しのみになりました。