揺れ動く私の思い、このままでいいのか葛藤の日々

私たち夫婦の別居はそんなに長くなく約一年で終了しました、結婚に執着しすぎて結婚相手の選択を誤ってしまった結果です。

結婚する時マリッジブルーのせいにしてマザコン男の人間性は見なかった事でスルーさせて結婚へのカウントダウンに拍車をかけた私、たぶんあの頃の私は誰でもいいから結婚したかったのかも知れません。

たまたまあの頃に知り合ったのがマザコン男だったのです、マザコン男は彼氏や男友達だったらベストパートナーだったと今は思います。趣味も似ていたので話も盛り上り食べ物の嗜好も近かったから尚更です。

マザコン男と付き合っていた頃は本当に楽しかったです、喧嘩もしましたが良い思い出になっています。でも結婚は違いました、日本はまだまだ家制度が強く親との繋がりに親戚関係の繋がりがかなり密です。

私が最初にマザコン男の母親と対面した時直感で実はこの母親とは無理だと感じていた事を覚えています。でもマザコン男の事を愛していたのでこの思いは封印してしまいました。

マザコン男が私に対してどの様な感情を持っていたのかは知りませんが、マザコン男は私の顔が好きと言っていた事を覚えています。なんとも嬉しいような寂しいような感じでした。

同棲して一緒に生活を始めたばかりの頃はマザコン男の嫌な部分も丸ごと愛せたのですが、月日が経つにつれ愛せなくなる自分にも嫌気がさしていました。

私自身も完璧な人間ではないので全てマザコン男が悪いとは思いませんが、やはり無理なものは無理なのですだから私は離婚を口にして親を巻き込み別居状態にまでもっていきました。

離婚するために私の両親も協力してくれてますそれは嬉しいことなのですが、その反面で本当に離婚しても大丈夫なのだろうかもしかしたらマザコン男が改心して素敵な旦那様になっているのではないのだろうかと何度も考えました。

別居中に一度だけ私は愛知の社宅マンションへ行った事があります、実は気分転換を兼ねて毎月一度愛知の職安に失業手当ての手続きのため出向いていたのです。住民票が愛知にあった為です。

社宅マンションに行った事はマザコン男には内緒でした、本当は自分の荷物を多少持って帰りたかったのですが侵入した事がばれたら面倒なのでそれはやめました。何となく女性の影がちらつきましたが直感でマザコン男の母親だと分かりました。

私がいなくてもマザコン男は平気なのかと微妙な感情が沸き上がりました。一緒に生活をしていた時はあんなに辛かったのにいざ離れて暮らすと恋しくなるなんて人間とは不思議な生き物だと思いました。

それと毎月一度愛知の職安に出向く時市役所の家事相談にも行っていました、こちらの家事相談相談員の方は家庭裁判所で離婚の調停員をしていた方でした。なので私はマザコン男の事を何度も相談に行きました。

家事相談員の方との会話も全て録音していました、後日実家へ帰ってから両親と一緒に何度も聞いて参考にしていました。

そんなこんなで日々いろんな事があり、私の思いは微妙に揺れていたのです。