離婚は頭脳戦で進める方が賢い、そんなこと分かってます

私の教訓は、ストレスは溜まりまくりですがそこは我慢して日々の生活をしながら、離婚に向けて資料を集め勉強するべきでした。離婚届の用紙も勿論ですが、協議離婚で終了させるための根まわしが大切だったことを後で知りました。

元主人との離婚の原因は、一般的に言うと性格の不一致です。巷で多い離婚原因の浮気ではありませんでした、逆に浮気してくれた方が離婚しやすかったので残念と思うぐらいに元主人への愛情も冷めてました。

同棲生活を卒業し婚姻届を出し正式に結婚した頃は、まだまだ愛情はあったのですが短期間で一気に冷めてしまいました。元主人は婚姻後マザコン度合いが一気に加速したのです、そして金銭管理もかなりのどんぶり勘定だった為に何とか元主人を説得して私がお金の管理全てをする事にしました。

結婚と同時に元主人は転職しました、そしていきなりの転勤だったので私は仕事を辞める事となりました。2人で全く知らない土地への引越し、かなり不安もありましたがその反面新生活への期待もありました。引越し先は窓を開けると、目の前に富士山が見える静岡でした。

福岡から静岡への引越しです、まず最初は引越し元の福岡で荷造り整理を元主人の両親(死別してるので、姑のみ)に手伝ってもらい、引越し先の静岡は私の両親に来てもらいました。この時も姑からアナタはT(元主人)のお手伝いなんだから、黙って指示に従いなさい。と何度も言われました。姑は親戚一同からも疎まれるほどの自己中人間なので、とても怖くて正論でも言い返せませんでした。

無事に引越しも終わり私の両親も自宅へ帰り、社宅での新しい生活がスタートしました。社宅と言っても元主人が勤めている会社で、個別に賃貸物件を契約しその物件を社宅として運用していました。このマンション一階部分はテナントが入っており洋菓子店で、毎日お菓子のいい香りが私の唯一の癒しでした。

そして数ヶ月が過ぎた或る日の夕飯後、私は元主人に対して溜まってた我慢が沸点に達しました。ほんの些細なことだったと思います、あの頃の私は後先考えず言葉を発してました。

もう我慢できないのよ離婚よ!離婚!もう終わりにしましょう

この決めセリフを使う時を、完全に間違えてました。今振り返って考えると、もっと賢く物事を進めて行けばあれ程余計な時間と労力を使わなくてすんだのです。

離婚のゴングは止められない、お互い鬼と化し熾烈な戦い

私が離婚の言葉を発して直ぐに元主人は、母親に即電話してました。流石マザコンって感じです、元主人の両親も離婚経験者なのですが離婚理由は元主人もあまり知らない状態でした。ただ元主人の父親の両親とあまりそりが合ってなかった事だけは聞いてました。

離婚は言い出した方が慰謝料を払わなくていけないと、姑から変な知恵とも言えない知恵をつけられ慰謝料を請求する元主人。もうあほらしい展開です、婚姻生活一年未満の場合ですが慰謝料はほぼ発生しません。

そして私たち夫婦は、この私が放った離婚発言から泥沼離婚へ突き進んで行きました。最初は夫婦2人で話し合いはしたものの、すぐ元主人が姑に電話をするので話し合いにならず平行線。私は身体的にもストレスがかかり体重が10キロほど減り(食事は普通にしていました)失禁もするようになってました。

このままでは離婚できないし私自身が病んでしまうと考え両親に相談し、両者の親を交えて話し合いをしましょうという事になり元主人の母親は仕事をしていたので、日にちは姑の都合に合わせたのに話し合いの日は姑欠席でした。私と私の両親そして元主人の四人で一応話し合い結果は、私の身体的状態が悪かった為実家へ帰ることになりました。

私は実家に帰り精神科の病院に通院しながら、離婚に向けての資料集めや離婚相談・家事相談などに行き準備を進めて行きました。でもこの別居期間中も、姑との電話のやり取りが多数あり壮絶なものでした。

最終的に信頼をおける弁護士と出会い、なんとか調停離婚まで進めることができたのです。

離婚の言葉を口にする時は、離婚届や調停離婚の申請書などの書類や資料などを揃え全てが整った段階で言いましょう

かなりのストレスは溜まると思いますが、この方が賢い選択だったと感じました。